ダーリンありがとう、のつづき

七夕が近づくと、離れ離れの恋人たちに思いを馳せます。
織姫と彦星ほどには離れていませんでしたが、
夫と私も8000キロも離れていた時期があったのです。


すっかり遅くなってしまいましたが、
2013-06-01 - 明日もいい日和
の続きです。



恋愛まっただ中の私がアメリカ合衆国ワシントン州
留学していたのは丸2年間。
今のようにコンピューターが普及しているわけでも
インターネットがあるわけでもなかった時代です。
長距離恋愛の連絡手段は「手紙」。
私はほぼ毎日、日記のように夫(恋人)に手紙を書いていました。
かわいいカードを見つけた時や、何かの記念日には、
手紙の他にもカードを贈りました。
(つまり、1日2通以上送った日もある。)
その手紙は2年間で大きな段ボール箱いっぱいになりました。
夫は週に1、2通の手紙と、週に1回くらい国際電話をくれました。
電話といっても、寮に住んでいた時は、寮のフロアにかけると、
近くにいた人が電話をとり、走って部屋まで知らせに来てくれるのです。
(おまけに私のいた部屋は、電話から一番離れた廊下の突き当たり付近だった!)
ホームステイをしていた時も、家人が繋いでくれました。
今よりずっと国際電話料金が高い時代だったので、
夫は月に7万〜8万も電話代を払っていたこともあるそうです。


留学前はどちらかと言うと、
私の方が夫の事を大好きで、いつも一緒にいたくて
週末だけでなく、仕事帰りも残業の後でもちょっとだけ会ったり、
月に25日くらいデートしてました。
夫は優しいところもある半面、けっこうクールで出不精だったので
私が夜中にバイク(50cc)を飛ばして会いに行ったりしたことも…。

留学した最初の数日、あんまりべたべた重い手紙を送りたくなかった私は
さらっとした当たり障りのない手紙を送っていたのですが、
夫から最初に届いた手紙には
「飛行機を見送ってから会えない寂しさがつのりました。
離れ離れで暮らすのはこれを最後にしよう…」


実は、留学中の私のことを心配した夫は、
プロポーズもしていないくせに、
私に結婚指輪のようなシンプルな指輪をくれて、
私は留学中、周りの人にはずっと既婚者だと思われていたのです。
もちろん正式な書類や、ホームステイ先には独身だと言っていましたが、
友達はみんな私が既婚者だと思っていました。
私も否定しなかったので、
「うそついてたのね!」って帰国後、喧嘩しちゃった友達もいました。

夫の友達も私の友達も、
太平洋を隔てた長距離恋愛で2年も離れていて上手くいくはずがない、
と言っていましたが、
ふたりの気持ちは変わりませんでした。
ダーリンほど素敵な人はいなかったんだもの…(顔じゃなくて)。


2年後、カレッジを卒業した私が帰国すると
ようやく夫から「結婚しよう」の言葉が。
それを聞いた私の母は、
「いったいいつになったら言ってくれるのかと思ってました!」
(それは私のセリフだよ〜!!)


式をあげたのは翌年の6月。
出会ってから9年目の夏でした。
まさか結婚してからの方が夫がさらに優しくなるとは期待していませんでした。
料理以外の家事はまるでダメな私なのに…
気分屋ですぐキツイこと言っちゃう私なのに…


ダーリン、ありがとう

いつも優しくしてくれて、
体調のいい時も悪い時も頑張って働いてくれて、
子供たちのいい父親でいてくれて、
誰よりも私を大事にしてくれて、
いい奥さんだって言ってくれて、
オバサンになって体重が増えても可愛いって言ってくれて、

ありがとう。

これからもよろしくお願いします。







夕食。

とうもろこし
枝豆
ラタトゥーユ
ジャガイモと豚肉の洋風煮物