「父との思い出」

私の父は旅行が大好きな人でした。
休みを見つけては毎月のように旅行に出かけました。
春、夏、秋はハイキングや登山を楽しみ、
冬はスキー。
山小屋に泊まったり、テントを張ってキャンプしたり、
せいぜい安い民宿に泊まったり。
キャンプも、キャンプ場に泊るのではなく、
全くの山の中、トイレやシャワーどころか
水道も川もないような山の中だったり。
子供だった私と弟はまだしも、母は大変だったろうなー…!

旅行先で知り合った、オーストリア人とか
ネパール人とかと仲良くなって、
自宅に呼んで何週間も泊まらせたりするので
「狭くて散らかった家なのに…」と、母は困っていました。

私はパパっ子で、いつも父とは仲が良かったです。
思春期でも、休みの日には「おいしいコーヒーでも飲みに行こう」
という父とドライブに出かけて、喫茶店でパフェを食べたり、
高校が休みで父が仕事の時は、
都内の父の職場まで行ってお昼をごちそうになったり。

決して裕福ではないうちだったのに
私が留学をしたいと言った時も
快く応援してくれました。
私は高校を卒業してから4年間働いて
留学費用をためようとしたのですがぜんぜん足りず、
ましてやその頃は1ドル200円以上もしていたので
父の退職金を借りて留学させてもらいました。

留学中も、母からは一通も手紙は来ませんでしたが、
父は何かあるとこまめに手紙をくれました。

私が帰国してしばらくしてから
顔にしびれが出始めた父は
私が結婚して長男を妊娠中に「脳腫瘍」があることがわかり、
長い闘病生活とつらい手術の甲斐もなく
私が長女を産んで3週間後に亡くなりました。
もう18年も前のことです。



お酒が飲めなかった父は、コーヒーと洋菓子が大好きで
私が12歳の時に、近所の洋菓子やさんで開かれる大人向けの洋菓子教室で
ケーキを習いたいと言った時も大賛成してくれました。
毎週習ったケーキを作るのを手伝ってくれて、
卵を泡立てるのがあまりに大変だからと、
当時まだ珍しかった家庭用の泡立て機を
秋葉原で捜して買ってきてくれました。

もう30年以上使っています。

父も母もお金は全く残さずに亡くなりましたが、
私にとってはこれが大切な父の形見です。